【衣食住の衣】
アメリカンブランドやショップが取り上げた『BORO』から気付かされた日本の『ボロ』
アメリカ出張の折、時間が許せば必ず現地のショップやフリーマーケットに出向いた。そこで時折ツギハギだらけの布が『BORO』として扱われている場面に遭遇した。
『BORO』の質感や色使いにインスピレーションを得たであろう服が並び、元となった『BORO』自体も高額な値段で販売されていた。それらが日本から渡ったものか?あるいはアメリカの古い衣料品の端切れだったのか?は定かではない。
藍染されたような無地やチェック柄、キャリコと呼ばれる抜染小紋柄が不規則に混ざりあうその布は、計算されたデザインとは無縁の、剥き出しの存在感を放っていた。
アメリカには古くからキルト文化がある。マンハッタンのフォークアートミュージアムで南北戦争あたりに作られたキルト作品を観た記憶やラルフローレンが監修したライフスタイル本でもテラスの木製ベンチにキルトブランケットが掛けてある風景があった。
規則正しい模様でキルトステッチされたアイテムには、クッションカバーやベッドカバー等があり、『BORO』とは趣は異なるが、生活の中にあった布を重ね、針を刺すという行為から生まれたもの。富裕層の手芸文化がルーツだとしても、僅かに近しい文脈でアートピースとして受け入れられていたのかもしれない。
“浅草のアミューズミュージアムで知った、布の重み”
浅草に布文化と浮世絵を展示する
『アミューズミュージアム)という場所があった。(残念ながら2019年に閉館したと後で知った)
そこの
「テキスタイルアート BORO」のコーナーで目にしたのは、かつて日本人が生活の中で使い古した本物の『ボロ』だった。
ドンジャと呼ばれていた重厚な掛け布団から、使いこまれた腰巻や足袋など、ほつれれば別の端切れで繕い、また破れれば重ねる。その繰り返しによって生地の厚みは不均一に見えたし、複雑な色が混じりあっていた。
それらは、デザインとしてのツギハギでは無く、必要に応じて繰り返された作業で、数少ない手持ちの衣服をツギハギするしかなく、使い続けるしかなかった生活の一部の断片に見えた。
日本の東北地方では、特有の気候から綿栽培が難しく、綿生地は貴重なモノだった。
寒さの厳しい東北地方で毛織物
(ホームスパン)が普及するのは明治以降の羊の輸入・飼育からはじまってからだし、時を同じく西日本から木綿が運び込まれるまでは麻素材で、いかに寒さを凌ぐか、という工夫がなされていた。
その工夫の一つに「こぎん刺し」と呼ばれる刺繍がある。
当時、農民の衣服には苧麻(からむし)などの麻が使用されていたが、目の粗い麻布では十分に冬の寒さを凌ぐことができなかった。女性たちは、防寒対策として麻布に、布目の隙間を縫うように刺繡を施したという。
アミューズミュージアムの
展示の中で紹介されていた、
ある母親が語っていた一節。
“娘の花嫁道具に、大事にツギハギした服を持たせた”
書籍『BORO』の一節。
“どんなに小さな布切れでも大事に取っておいて、それが風呂敷包みひとつになるくらい溜まったら、それだけ持って女は嫁に行く”
当時の花嫁道具は今で言う野良着。真新しい服を手に入れることさえ困難だった時代、母が精一杯の愛情を込めて繕いつづけたその服や布切れこそが、娘を送り出す最大の贈り物だったのかもしれない。
豊かさとは何か?を問いかける『ボロ』
破れた箇所を補強し、形を変えながら、生活のために最後まで使い切る。かつて綿素材が何よりも貴重だった時代に、人々は一つの布にどれほどの時間をかけ、どれほどの想いを重ねたのだろうか。
アメリカのマーケットで見た『BORO』のお陰で、日本の『ボロ』に興味を持った。アメリカでは格好良いという、軽いノリで見ていたが、その背景にある「生きるための手段と」とも言える日本の『ボロ』に触れたとき、正直言葉がなかった。
質素な生活の中にある「健やかな美しさ」みたいな事、コロナ禍を経て民藝やクラフトという言葉をよく目にする。自分もファッションを語る上で、これまで以上に気にかけている部分でもある。
最終話へ続く
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