【Vintage denim との出会いから岡山児島の加工場】
大学生になり古着店でアルバイトをするようになり、Big E、大戦モデル、XX、革パッチ、Aタイプ、Sタイプ、綿糸、66、赤耳、縦落ち、といったリーバイスデニム、ヴィンテージ用語?を服好きな友人達と頻繁に使うようになった。興味の無い人からすると、何かの暗号のようしか聞こえなかっただろう。今でもそうかも、、
とにかく、当時はウエストサイズ、レングスが丁度良いサイズに
なかなか巡り会えない。そしてマイサイズで、デニムの色が縦落ちした表情の良い一本となると尚更だった。
デッドストックと呼ばれていた身洗いの501を購入した経験は一度だけ、濃紺で色落ちしていない生地がゴワゴワとした大戦モデルも所有してみたけど、結局穿かずに手放した。自分で穿き込んで色落ち、縦落ちさせた経験、今で言う時間をかけてデニムを育てた経験は無かった。
月日は経ち、Vintage501への熱は徐々に冷め、興味の対象はやや細めのシルエット505品番へ。
縦落ち加減の良いモノをしばらく探していた頃?551品番(のちに505品番に移行する?)がサンフランシスコ、バレンシア工場製?で復刻された時、初めて自分で穿き込んで縦落ち、色落ちしていく様を経験した。
その後、アメリカンブランドのデニム5pを2本だけ色落ちさせた。
かなりの月日で穿き込んだので、
なかなか良い風合いに仕上がった。
いつ頃だろうか?ヒゲ、ハチノス、とか新たな加工デニムに関するワードを耳にするようになる。岡山児島のデニム加工場を見学しに行くと、木の板に波状にゴムを配置した洗濯板のようなモノを使い、ヒゲと呼ばれていた足の付け根部分の色落ちを再現する作業を初めて見た。
ハチノスは定かでは無いが、ポケット口などの細かな当たり感(色落ち)を出す部分は、値札を取り付けるピストルを使用して生地をツマミ上げ、盛り上がった箇所を紙ヤスリで生地を擦っていたような気がする、、足のモモ部分は、ブラストと呼ばれていた噴射する砂を
使い色を落としていた。一本一本を発注先のリクエスト通りに、ほぼ手作業によって様々な工程を繰り返し、まとまった数を仕上げていく様には、頭が下がる思いがした。
中国上海近郊の加工場でも同じような工程を見たことがあったが、その技術は日本から持ち込まれたという話を聞き、デニム加工の技術力は、きっとVintageデニムの色落ち(縦落ち)穿き込まれた風合いに対しての探求心が礎になっていた事は間違いないだろう。
2000年代は定期的に岡山児島に出張していた。加工場に新しいマシーンが稼働しているらしいという情報を元に見学を進めていくと、レザーを使い自動で当たり感をだしながら色落ち加工を行うマシーンが導入されていた。確か2006.7年あたりだったかな?
いよいよ人の手を離れて機械が自動で加工を行う時代が来たな。
加工場の過酷な作業も軽減されるのかな?なんて事を思った。
そんなこんなで、Vintageデニムに熱中した学生時代から、実際にデニム加工場での作業を見ながら、製品化のプロセスを経験した事で、デニム加工に関しては、少しは理解できているように思う。
日本有数のデニム生地を生産するカイハラでロープ染色機を見学させていただいたり、児島や四国徳島(阿波)でカセ染めと呼ばれる染場を訪れ、ロープ染色との違い、藍染めに関しての説明していただいた事も今となっては貴重な経験だった。
第二話は5月1日
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